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  トリカブト殺人事件



 1986年5月19日、犯人神谷力(かみや ちから)は妻のA(当時33歳)と那覇市に到着。翌20日、11時40分にAは神谷と分かれ、友人3人と沖縄県石垣島を訪れた。神谷力は大阪へ帰宅するため、那覇空港に残っていた。石垣島に到着しホテルに到着、チェックイン後すぐに突然Aが苦しみだしたため、救急車で八重山病院へ搬送されたが救急車内で心肺停止、直後に病院に到着するも、一度も正常な拍動に戻らず15時4分に死亡した。警察は那覇空港から急遽石垣島に来た神谷力の承諾のもと、行政解剖(遺族の承諾による)を行った。

死因は急性心筋梗塞と診断されたが、解剖を担当した琉球大学法医学教室の医師が、心臓の一部に小さなうっ血を発見するも、病的な異変のない綺麗な内蔵と急死につながる明らかな異常がないことを不信に思い心臓と血液30ccを保存した。 この判断が後に事件解決につながる。

Aの友人の多くが、出会って6日目でプロポーズをした事や公認会計士と神谷が言っていたのにも関わらず、公認会計士名簿に神谷の名前が記載されていない事等を疑い警察やマスコミ、新聞社などに訴え掛け始めた。 その中で日刊スポーツとFOCUSが反応した。

そもそも神谷は過去5年間の間でAを含め3人の妻を亡くしている。 1人目は1965年に結婚、1971年に2人目の妻となる同じ経理課の上司の女性と出会い、密かに愛人関係で10年が過ぎ、1人目の妻が1981年に38歳の若さで心筋梗塞で死亡。 1人目の妻が亡くなってすぐに愛人関係であった女性と同棲を始め、神谷が受取人の1000万円の保険をかけて結婚、1985年、2人目の妻が急性心不全で死亡。

Aの友人達が神谷が受取人となる保険会社4社を突き止め徹底的に調べてほしいと根気強く訴え、保険会社4社合同で警視庁に捜査を依頼した。Aの死亡により神谷が受取る保険金の合計は4社合わせて1億8500万円、月々の掛金は36万円になることが判明した。しかもAが亡くなる20日前に加入、高額な掛金は1度しか支払ってない事になる。

その頃、解剖を担当した医師も保存していた臓器で検査を繰返し行い病死にあたる心筋梗塞から、事故死や殺人も否定出来ない急性心不全に訂正、警察に届けた。 こうした動きに警察も捜査会議を開き疑惑の目は神谷を疑った。

殺害には神谷が処方したカプセルをAが飲んでいた事に疑いをかけ、亡くなった当日、11時40分に神谷とわかれ1時間40分後にAが苦しみはじめた。1時間40分も経過して効き始める毒がないことで捜査は難航。警視庁は千葉大学にカプセルで効き始める検証を依頼したがカプセルを二重三重にしても5分から10分程度しか遅らせられない事が判明。 神谷は死体検案書の作成を解剖医に依頼、各保険会社は疑わしい保険金の支払いを拒否、神谷は自分で作成した手記をマスコミに配りはじめ、保険金支払いの民事訴訟を提起。 その頃、警察からの依頼を受けて解剖医は薬理学や薬剤学の専門家と死因を追求をし続けていた。 Aは心室細動と同時に手足のしびれ、腹痛、嘔吐をしていることから薬品系の毒ではなく自然由来のもではないかと考えはじめた。調べはじめてすぐにAの症状とトリカブトによる作用が一致し、保存していた血液から東北大学の協力を経て血液中からトリカブト毒を検出した。


Aと神谷力は2月に結婚したばかりであった。またAには、保険会社4社に月々合計約1億8千万円もの保険金が掛けられており、受取人は神谷力だった。保険会社はAが以前神経系の病気で通院歴があったにも関わらず、それを契約のときに通知しなかったことを理由に支払いを拒否、民事訴訟になった。

一審の東京地裁は、神谷力の勝訴。

二審で、Aを解剖した当時琉球大学の法医学教室の医師が証人として出廷し、Aの血液中のトリカブト毒の有無を、東北大学の協力を得て、調べた結果、Aの死因はトリカブト毒(アコニチン)による中毒と判明したと証言し、その後神谷力は訴訟を取り下げた。

1991年6月9日、警視庁は、神谷力を横領容疑で逮捕し、7月1日に殺人と詐欺未遂で再逮捕した。

公判では、神谷力にトリカブトを販売した人物が出廷した。検察側は、神谷力がAに内緒で借りていたアパートから、アコニチンが検出されたと証言。しかし、アコニチンは即効性のある毒であり、Aは神谷力と別れてから、1-2時間後に死亡しており、アリバイがあると主張した。

逮捕後、神谷力にクサフグを大量に売ったという漁師が現れたことから、警視庁は琉球大学に保存されていたAの血液を、東京大学の協力を得て調べたところ、フグ毒(テトロドトキシン)が検出された。アコニチンはNa+チャネルを活性化させ、テトロドトキシンはNa+チャネルを不活化させる。その後の実験でこの二つを同時に服用するとアコニチンの中毒作用が抑制される、拮抗作用が起こることが判明した。そしてテトロドトキシンの半減期(毒物の血中濃度が半分になるまでの時間)がアコニチンよりも短いため、拮抗作用が崩れたときに、アコニチンによって死に至る。これにより、神谷力のアリバイは崩れた。

2000年2月21日、最高裁は、上告を棄却し神谷力の無期懲役が確定。神谷力は2012年11月に大阪医療刑務所で病死した。73歳

(Wikipedia)

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