「いとおしい」という感覚
その時を生きて、ある選択をして、たしかに馬場下のコンクリートの間に存在はしていたが、共存とは程遠い騒擾感のなかで、過ごした4年間。
40数年をへて、はるか離れた丘の上から眺めるように、当時を振りかえろうとすると、突然にその時代を生きた自分が「いとおしい」と思える。
その時の自分の脆弱さ。無鉄砲。決断力するには、あまりに力不足、世間知らず。思い出すだに恥ずかしいような優柔さ。ひるがえって無思慮、無節操。
若者らしく行動したか。潔かったか。胸を張って生きてきたか。正しいとひたすら信じていたか。いずれもイエス、またはノンだ。
中途半端が人生よ、ってあきらめてきた。結論なんてありはしない、って決めてきた。だが、突然、やってきたロシア語クラスという、くくりかた。
新学生会館の階段を削り、両手をいっぱいに広げてデモったり、図書館に閉じこもって本をよんだりしていても、そこになにか光るものを追い求めた姿があった。その瞬間こそ、それぞれちがっていても共有したい何かだ。
それは、くすんだ想い出の中で、やがて輝いてほしい、将来はきっと輝くにちがいないと思わせてほしい、なにか希望のような、淡いいとおしさ。
そんな共時性を、確かめ合う場所が、ここにはあるにちがいない。
そう、みんなはその日、語ろうとして出来ないけれど、もどかし気に後ろ姿をみせて、去っていくけど、想いは霧の中の光のように、はかなく頼りなげだけれど、私たちをみんな詩人にしてくれる。
それが空白の40年という時間だ。
いいじゃないか、みんな笑顔だ。クラス会に出てこない奴だって、この笑顔をみたら、出てきたくなるぜ、絶対に。
20数人に連絡がとれるようになって、出席は17人。上等だよ、来年はもっと増えるかね、加茂さんよ、古郷さんよ。
なにが、懐かしく、いとおしいのか。もう一回、やってみたらわかるような気もする。そう、透明なはずの空気が懐かしく、いとおしいのさ。
それが今という時に、そのまま連綿と繋がっているってことに、なんともやり切れない感覚がある。いとおしさがグラデーション風に17倍されたら、その橋はきっと月まで届くだろう。
男にとっては、永遠に女性なるものの歌声のように、女にとっては、男性たちの抱擁のように力強く、天使たちの声のように甘美で、永遠になりひびく、その声につつまれて、いつか眠りにつきたい。
きょう、サッチャー元英国首相が87歳で亡くなった。君はその日、何かを語りえたか。