Gilet(チョッキ)

 1866年4月25日 ドストエフスキーはロシア報知のカタコフに手紙。
1000ルーブリのお礼。
外国旅行を延ばす。「モスクワ報知」とニヒリスムについて。

 「ニヒリストは、みな社会主義者です。社会主義は、(とくにロシア式は)、結局、
あらゆる関係を断つということです」


                      
グロスマン ドストエフスキー全集 別巻 年譜

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「日本人の美徳は、貧しいことをけっして恥と思わないことだ」

下田に駐在した初代アメリカ領事タウンゼント・ハリスが
下田の農民の暮らしぶりを見て---

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この美徳をとり戻すのに、おそらくは、さらに150年はかかるだろう。徳とは、すなわち、そなわった性惰を他者から論評されて初めて気づくもの。

3月25日 ツルゲーネフがバーデン・バーデンからフェートに手紙。「ロシア報知の最初の2冊を読んだ。『罪と罰』第1部は素晴らしい。第2部は自分で思いを巡らせる前章より弱い・・」と書く。

『罪と罰』は素晴らしいとの初めての論評。このあと12月までロシア報知に
全編(6部とエピローグ)が載る。
1865年12月23日、英国ホフマン洋服店から礼服とチョッキ(ジレ)代金15ルーブ
リ、英国製ズボン18ルーブリの勘定(請求)書。
1866年3月16日、ドストエフスキーは原稿料の前払い1000ルーブリを受け取る。