Concert, ヘンツェ アルブレヒトが2000年の読響ヨーロッパ公演カナリア諸島音楽祭に参加、音楽祭の委嘱新作であるヘンツェの「7つのボレロ」を世界初演。


1999年1月、この音楽祭が世界の音楽メディアから脚光を浴びた。長らく指揮活動から遠ざかっていた“幻の巨匠”カルロス・クライバーが、久方ぶりにオーケストラを指揮したからだ。スペイン領カナリア諸島は北アフリカ・モロッコ沖、大西洋上に浮かぶ7つの島。二つの島を中心に北欧や中欧の中間層の避寒地として人気を集めており、首都マドリードやヨーロッパの主要都市からの空の便は多く、マドリードから二つの島へは飛行機で約2時間半。

音楽祭創設1984年。例年1月前半から2月前半にかけて行われている。主会場は7つの島の中で最も大きなグラン・カナリア島の中心都市ラス・パルマス(日本の遠洋マグロ漁の基地があり、日本領事館も!)にあるアルフレド・クラウス音楽堂。そう、往年の名テノールはここの出身なのだ。2番目の島の中心都市サンタ・クルス・デ・テネリフェにある劇場など、演奏会の会場は広く散らばっている。

ドイツ大使館でのレセプション ホルンとオーボエノトップと。

2005年06月13日

富士見ヶ丘・NHKグラウンド

エジプト紀行 1997年

練習中、ステージの向こうのカーテンを上げて、指揮者は海を見ながら棒を振ります。

2000年

ウィーン・フィル・チーム 9 ( 7 ー 0 ) 2 読売日響チーム
( 2 ー 2  )
REPORT
ウィーン・フィル vs 読売日響

親善サッカー試合 リポート





日本オーケスト連盟 報告


 そもそも事の始まりは、数年前
ベルリン・フィル
が来日した折に、強豪女子サッ カー・ チーム読売ベレーザと手合わせして惨敗し、その雪辱戦を98年の来日時にしようとし たところ、ベレーザのスケジュールが合わず、そこでこの因縁の対決を受けて立っ たのが、同じく読売は読売でも読売日本交響楽団サッカー・チーム
 他のオーケス ト ラにも声をかけて往年のサッカー少年を集め、読売ヴェルディのバックアップも受け て、この時は7対6の惜敗。その時のことは、「ベルリン・フィル・チームに花を持 たせ た。」と語り継がれている。


 しかしこの時に若かりし頃のサッカー熱が甦った楽員 が 中心となって、この度ウィーン・フィル・サッカー・チームに戦いを挑んだ。

 昨年11月15日曇り空の下、東京ガス深川グランドに集合したのは、読響の小森谷 ・潘 両コンサートマスターをはじめ、今回マネージャーをつとめたヴァイオリンの古 田 川氏。在京オーケストラからの助っ人、東響、シティ・フィル、新星日響 から も参加、楽員家族の参加も含め総勢20名がヴェルディの緑色のユニフォームに袖を通 した 。

 ウィーン・フィル・チームは13名で、この日午前中に宮崎を発ち、羽田空港 からグランドへ直行。こちらはザルツブルク音楽祭と染め抜かれたアズキ色のユニ フォーム姿。

 前半を7対0で折り返し、後半は生憎の雨模様の中、双方疲れが見え始めると、日 本チー ムがウィーン・チームのゴールマウスを脅かし始め、2得点を上げて
最終スコアは9対2。

 MVPは、ウイーンのホルン奏者ロナルド・ヤノシェッツ氏で、優勝トロフィーはワイン。この夜、会 場を移して、ピッチの外での親善交流におおいに盛り上がった。

渋谷・ウエストでの交流懇親会 トランペットのトップ、
コントラバスとドイツ大使館員文化アタッシュ

優秀監督賞を受ける(第2位チーム)

ベルリン・フィルVS
       読響サッカー・チーム

カナリア諸島音楽祭

ベルリンフィルとの激しいボールの奪い合い

マヨルカ島のホテル