1960年代の半ばに、早大ロシア語クラス(露語クラスは文学部にしか存在しなかった)を選ぶほどに、IQが高く(笑え!ドン・ガバチョ)、社会的な嗜好性を兼ね備えていた人たち(笑え!サンデー先生)は、ある種の仲間を結果的に選んだことになっていたはずだ。
ハイエクは言う。「われわれは余所の人びとを友とし、その目標をともにすることによって、彼らに対する尊敬と同意を示すものである。仲間を選ぶこと、そして一般にわれわれの関心にとって必要な何かを持っている人たちを仲間に選ぶことは、自由と自由社会の道徳概念の重要な部分をなしているのである」
(ハイエク全集T第5巻第一部第5章 自由の条件 5 個人的目的の追求)
・・・・といわれても、さして意思的な選択ではなかっのだけれど。